ラスベガスを変えたHNNの因果
今世紀初頭のラスベガスを知る人のなかで、今日のラスベガスの姿を想像できた人はひとりもいないでしょう。
当時のラスベガスは水のないやせた土地の広がる田舎にすぎず、カウボーイ、農民、鉱夫を中心とした社会は、アメリカのどこにでも見られる平凡なものでした。
1905年に鉄道が敷設されたものの、月に何度か発着する列車の汽笛がのどかに響くだけで、町全体が眠りのなかにあるようだったのです。
近郊の鉱山から掘り出された鉱石を西海岸や東海岸へ運び出し、地方からの物資をネバダ州南部の鉱山キャンプに送り出す機能だけが、ラスベガスの存在意義だったと言ってもいいでしょう。
1929年、大恐慌がアメリカ全土を襲いました。
その打開策として、当時の金額で総工費1700万ドルをかけてラスベガス隣接のボルダー市に建設された、世界一の高さを誇るフーバーダム。
これは、ラスベガスのこれまでのありようを根底から変えるものでした。
このダムの建設期間中、ラスベガスは1万人もの労働者たちのストレス発散の場所となり、また完成後は、ラスベガスに観光地としての機能を付加することとなりました。
当時ラスベガス商工会議所は、ラスベガスを"フーバーダムの玄関口"と称し、全米から観光客の集客につとめ、成果をあげたのでした。