空軍基地と核実験で潤う「罪深い街」
ラスベガスは、アトランタ、ヒューストン、フェニックス、ロサンゼルスをつなぐ、いわゆるサンベルト上にあります。
そのため年間を通じて晴天日が多く、上空からの見通しは非常にいいのです。
こうした地の利を生かして、第二次世界大戦に突入するころには、連邦政府は巨大なネリス空軍基地やマグネシウム生産工場の建設を進め、ラスベガスの安価な水力発電を十分に生かして、アメリカ国防省の重要な戦略地として機能させるようになっていきました。
こうしたアメリカ政府の巨額投資により、ラスベガスは未来に向かって発展する基盤を整えていきます。
さらに連邦政府は1950年代に、晴天に恵まれたラスベガス地域の天候を生かして、核実験場「ネバダ・テスト・サイト」を建設しました。
1950年代のラスベガスの住民は、核実験があるたびに、キノコ雲をラスベガスから北西の地平線に見たものでした。
核実験は早朝に行われ、まだ睡眠中の人々も爆発後約9分で伝わってくる地鳴りとその振動で目を覚まし、いっせいに外へ出て空を見上げたといいます。
日本人にとっては胸がかきむしられるような話ですね。
しかし、この核実験に対してネバダ州の人々はおおむね好意的で、その後、ウエディングケーキや水着などにキノコ雲形のデザインが使用されるほどポピュラーだったといいます。
おそろしいですね。
核実験は1951年に設置されたエネルギi研究開発庁によって管理され、1958年まで継続されました。
ラスベガス住民を含む数千人ものネバダ南部の人々が核実験に関係する仕事に従事し、1957年には核実験施設に勤務する科学者や従業員たちが住むためのマーキューリーという町まで作られたのです。