未来に向かって 4
まわりの方々が「勤務中に亡くなったのだから、『労働災害』の認定が受けられるのでは?」と言ってくださいましたが、全身の力がぬけてしまったようですし、どのような手続きをしたらよいかもわかりませんでした。
そんなとき、ミニコミ紙上で「過労死一一〇番」というものがあることを知りました。
そのころ知人が招介してくれたのも、同じ「職業病対策連絡会議」でした。
過労死弁護団の先生方に相談するうちに、夫の死がたんなる病死ではなく、労働災害であると確信したのです。
夫が大日本印刷株式会社に入社したのは、一九五四年です。
売り上げ一兆円、資本金一千億円と、いまや世界一と言われる一流会社です。
本社は東京都新宿区。
その京都工場で写真製版の校正を二十九年間しておりました。
優秀な技術者として、プライドを持って働いてきました。
ところが、一九八三年六月、同社の製版部門が分離独立しました。
このとき、夫は、大日本印刷をわずかな退職金で放り出されたのです。
そして、大日本京都製版会社に再就職しました。
さらに、八五年二月、今度は、製版技術とはまったく無関係な、大日本物流システムへ移されたのです。
これは、会社の命令だとはいわれても、ちょっと苦しいですよね。