プチ雑学~ その2
ビッグメーカーのオフィスを訪ねてみると、今やエントランスには人をこけおどすほどのリッチなたたずまいがあります。
しかしながら往々に、さぞやゆったりとしたワークスペースが存在しているのだろうと期待しながらワークフロアに行くと、それが完全に裏切られ、灰色の雑然とした実利一点ばりの空間がせせこましく突っ立っていたりする。
快適な美しい空間は、その中で働く人々の精神面に、また更には外来の人々の目に多大なメリットをおよぼすことを忘れたくないものだと思うのだが。
ビッグメーカーのオフィスを訪ねてみると、今やエントランスには人をこけおどすほどのリッチなたたずまいがあります。
しかしながら往々に、さぞやゆったりとしたワークスペースが存在しているのだろうと期待しながらワークフロアに行くと、それが完全に裏切られ、灰色の雑然とした実利一点ばりの空間がせせこましく突っ立っていたりする。
快適な美しい空間は、その中で働く人々の精神面に、また更には外来の人々の目に多大なメリットをおよぼすことを忘れたくないものだと思うのだが。
アメリカで発達し、ヨーロッパにおいても定着しつつあるオフィスにおけるオープンスペース・システムでは、事務家具は画期的に美しいものへと変身しています。
もともと少人数、小割のオフィス形態が能率的に思わしくないとのことで始まったこのオープンスペース・システムは、大フロアーをパーティションボートでセクション分けをし、更にボードの色分け等で各セクションのビジョアルコミュニケーションをはかり、その高さで人々の問のコミュニケーションおよび心理的交流を円滑にするなど、従来のオフィス形態を越えたものです。
同時にここで使われている事務家具等は、オープンスペース全体の美観を作り出す大きなアイテムとして、美しさや人間工学的アプローチ等あらゆる面から検討され、機能としてもますます充実したものになってきている。
1776年のアメリカ合衆国独立宣言当時は、現在のネバダ州一帯はまったくの未開の地でした。
1850年代になると、金鉱ブームにわくカリフォルニアをめざして行き交う人々の水補給所の中継地点として、その存在を徐々に知られるようになってきました。
そして、一撰千金を夢見てカリフォルニアに向かう人々を狙ったギャンブルが登場してきたのです。
この当時のギャンブルは19世紀のフランスの社交場をまねた薄暗い「サルーン」と称するカウンター形式のバーで行われ、プロのギャンブラーも客も荒くれ者が多く、イカサマが横行していました。
このフロンティア時代に名を残したギャンブラーに、ウィリアム"ラッキー"ビルがいます。
彼は、教会の牧師たちまでが熱狂した、当時大流行のシェルゲームを得意としました。
もちろん手口はイカサマで、カリフォルニアへ向かう人々はいいカモ。
しかし、彼が有名なのはイカサマ師としてではなく巻きあげた金を貧しい人々に分け与えるという鼠小僧的な人物像からでした。
イカサマと言えば、原住民パイウテ族のインディアンの手口もまた信じがたいものでした。
なんと町中のトランプを買い占め、トランプに自分たちだけにわかる印をつけて、買った店に購入価格の4分の1の値段で再度売るのです。
そして店でそのトランプを買った客を見定めてはへその客とゲームをするという荒技です。
1859年に、現在のネバダ州北部のバージニアシティでカムストック鉱脈が発見された結果、ジョン・ウェインの西部劇を思わせるような活気ある町が誕生します。
まず、金を掘り起こすための坑夫が集ま猷金を都市へと送り出すための貿易商人銀行員、街づくりのための大工が集まってきました。
そこに酒場、木賃宿、売春小屋などが作られると、まさに火に油。
街は"飲む・打つ・買う"の無法地帯と化していきました。
当時ユタ・テリトリーに属していたバージニアシティではギャンブルは禁止されていたのですが、ユタからの距離が遠く実際には取り締まりはまったく及んでいませんでした。
そのため、酒、女性、そして、ギャンブルにまつわるいさかいが絶えなかったのです。
「ワイルドウエスト」という言葉は、当時のこのような状況から生まれたのでした。
ギャンブルの歴史は古いです。
ギャンブル行為が記録されている最古の文書は、4000年前に作られたエジプトのピラミッドから発見されています。
同様にエジプトでは、重心を中心位置からずらす小細工を施した3500年前のイカサマサイコロが発見されています。
このほかにも、インドでは3500年前、また中国では2300年前の遺跡から、ギャンブルについて記述された古文書が発見されました。
ネバダ州だけにかぎってみても、紀元前300年の遺跡からギャンブルが行われていたことを証明するものが出土しています。
ギャンブルは人間の存在とともにある古くて新しい、恒久的な行為のひとつなのです。
しかし、世界の主要な宗教は、ギャンブルについては厳しい認識を持っています。
イスラム教のコーランは、チェス以外のゲームを禁じています。
ユダヤ人裁判所では、職員や裁判における証人として、ギャンブラーは信用に値しないとして除外する慣例となっています。
ユダヤ教では、ギャンブルによって勝ち得た利益は窃盗と見なされます。
このように、ギャンブルは反社会的あるいは好ましくない行為として認識されてきました。
その結果、ギャンブルには、さまざまな犯罪行為がつきまとっていました。
そして、ラスベガスがギャンブルタウンとして形成されていく過程においても、まさにこの点が問題となってくるのです。
支払われた給料の合計は15億ドル。
同プロジェクトによるネバダ南部に対する経済効果は5億ドルと言われ、ラスベガスにおけるビジネスの多くは、この恩恵を受けてスタートしたと言われるほどです。
アメリカが旧ソビエトとの軍事競争に明け暮れていた当時、ネバダ州のビジネスマンたちが他州の人たちに対して、「ネバダ州」という言葉を誇らしげに使うことのできる時期でもありました。
その後、核実験禁止協定が米ソ間で結ばれます。
これによって一時実験活動は停止されますが、ソ連の核実験再開に合わせ、1962年に米国でも地下実験が再開されます。
ネバダの核実験のみならず太平洋の環礁での実験も合わせて統轄するための管制センターが、今でもラスベガスに置かれています。
ちなみにネバダ核実験区域(NTS)の面積は3500平方キロメートルもあり、これは東京23区のほぼ6倍、大阪府の約2倍の大きさに匹敵します。
NTSはラスベガスから北西104キロしか離れておらず、区域内では放射能に汚染された農産物や牧畜牛などを使って、放射能除去や放射能治療の研究が行われていました。
ネバダの住民がどれだけ自慢しても、ラスベガスには空軍基地、核実験にギャンブルというネガティブなイメージがつきまとい、全米から「罪深い町」「電気仕掛けの汚れた町」「現代のゴモラ」などと呼ばれることとなります。
ラスベガスのこの屈辱的なイメージが払拭されるようになったのは、1980年以降のことなのです。
ラスベガスは、アトランタ、ヒューストン、フェニックス、ロサンゼルスをつなぐ、いわゆるサンベルト上にあります。
そのため年間を通じて晴天日が多く、上空からの見通しは非常にいいのです。
こうした地の利を生かして、第二次世界大戦に突入するころには、連邦政府は巨大なネリス空軍基地やマグネシウム生産工場の建設を進め、ラスベガスの安価な水力発電を十分に生かして、アメリカ国防省の重要な戦略地として機能させるようになっていきました。
こうしたアメリカ政府の巨額投資により、ラスベガスは未来に向かって発展する基盤を整えていきます。
さらに連邦政府は1950年代に、晴天に恵まれたラスベガス地域の天候を生かして、核実験場「ネバダ・テスト・サイト」を建設しました。
1950年代のラスベガスの住民は、核実験があるたびに、キノコ雲をラスベガスから北西の地平線に見たものでした。
核実験は早朝に行われ、まだ睡眠中の人々も爆発後約9分で伝わってくる地鳴りとその振動で目を覚まし、いっせいに外へ出て空を見上げたといいます。
日本人にとっては胸がかきむしられるような話ですね。
しかし、この核実験に対してネバダ州の人々はおおむね好意的で、その後、ウエディングケーキや水着などにキノコ雲形のデザインが使用されるほどポピュラーだったといいます。
おそろしいですね。
核実験は1951年に設置されたエネルギi研究開発庁によって管理され、1958年まで継続されました。
ラスベガス住民を含む数千人ものネバダ南部の人々が核実験に関係する仕事に従事し、1957年には核実験施設に勤務する科学者や従業員たちが住むためのマーキューリーという町まで作られたのです。
今世紀初頭のラスベガスを知る人のなかで、今日のラスベガスの姿を想像できた人はひとりもいないでしょう。
当時のラスベガスは水のないやせた土地の広がる田舎にすぎず、カウボーイ、農民、鉱夫を中心とした社会は、アメリカのどこにでも見られる平凡なものでした。
1905年に鉄道が敷設されたものの、月に何度か発着する列車の汽笛がのどかに響くだけで、町全体が眠りのなかにあるようだったのです。
近郊の鉱山から掘り出された鉱石を西海岸や東海岸へ運び出し、地方からの物資をネバダ州南部の鉱山キャンプに送り出す機能だけが、ラスベガスの存在意義だったと言ってもいいでしょう。
1929年、大恐慌がアメリカ全土を襲いました。
その打開策として、当時の金額で総工費1700万ドルをかけてラスベガス隣接のボルダー市に建設された、世界一の高さを誇るフーバーダム。
これは、ラスベガスのこれまでのありようを根底から変えるものでした。
このダムの建設期間中、ラスベガスは1万人もの労働者たちのストレス発散の場所となり、また完成後は、ラスベガスに観光地としての機能を付加することとなりました。
当時ラスベガス商工会議所は、ラスベガスを"フーバーダムの玄関口"と称し、全米から観光客の集客につとめ、成果をあげたのでした。
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美味しく頂けますよ。(^^)
今年もよろしくお願いします。
わたしの今年の目標は、体力を筋力をつけること。
元旦から筋トレを始め、少しずつ慣れてきました。
学生時代はずっと文化部だったものですから、基礎体力がまったくありません^^
なので今年は、せめて人並みの体力をつけるのが目標です!
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